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美輪明宏(みわ あきひろ 本名 丸山明宏 幼名 臣吾(しんご)、1935年5月15日-)は、日本の歌手、俳優、演出家。長崎県長崎市出身。海星中学を経て国立音楽大学付属高校中退。愛称はマルさん。


経歴


長崎時代
美輪の実家は長崎市内でカフェを経営していた(規模・華美さは当時を知る人達の語 り草であったという)。美輪が幼い日を過ごした当時の長崎は昭和モダンの最盛期で非常に賑わいがあり、また竹久夢二の「長崎十二景」そのままに、さまざま な国籍を持った人々が幻の様に暮らす美しい街だったという。

しかし当時の体制の右傾化・軍国主義化、さらには長 崎原爆投下が美輪はじめ一家を永年苦しめることとなる。父は”敵性文化(を商売にすること)は時局にそぐわぬ”といわれカフェを閉店せざるを得なくなり金 融業に転業。幻の様に美しかった長崎も原爆投下により本当に幻と化してしまう。当時10才の美輪は爆心地に近い父方の実家に居たが、奇跡的に無傷で助かっ ている。しかし原爆で父の貸付先が相次ぎ他界・破産のため美輪一家は貧乏生活を余儀なくされ、加えて美輪の父も後妻(美輪の生母は美輪二歳時に病没)の他 界・出奔の不幸に見舞われ、美輪は幼い異母弟達と辛酸をなめざるを得ない日々を送った。

終戦後、11歳の時に観 た映画に出演していた加賀美一郎のボーイソプラノに衝撃を受け、程なくして声楽とピアノのレッスンを受け始める。海星中学では西岡武夫が同期。エンリコ・ カルーソーやベニャミーノ・ジーリの様なオペラ歌手、コンサート歌手を夢見て、高校進学のため15歳で上京する。



歌手 丸山明宏
1952年、17歳の時に銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」と専属契約し歌手 デビュー。

1957年、『メケ・メケ』で人気を博し、元禄時代の小姓の衣装を洋装に取り入れ、レース地のYシャ ツなどを身に纏うユニセックスファッションと、「天上界の美」と三島由紀夫が絶賛した美貌でマスコミから「神武以来の美少年」「シスターボーイ」と評され 一世を風靡する。

「衣装革命」と称し、始めたこの活動も当初は世間から冷遇され、全国紙に「丸山明宏を芸能界か ら追放せよ」と言った内容の批判記事が掲載されたり、見も知らぬ人から石やビール瓶のふたを投げ付けられもしたと言う。(しかし近年ではヴィジュアル系の 元祖「美輪様」として大いにリスペクトされ、ゴスロリ系雑誌にインタビューが掲載されるほどである)

『メケメ ケ』以来のブームは1年程で沈静化し、その間に雑誌を通じて同性愛者である事を公表(カミングアウト)した事や、旧来のシャンソンのイメージ(美輪曰く 蝶よ花よ、星よ月よに終始する「おシャンソン」)に無い、自ら訳した原詞に近い生々しい内容のシャンソンを歌った事に対する反発もあり人気は急落する。

一 方、作詞作曲活動を開始したのも、この頃からで『うす紫』『ふるさとの空の下』『金色の星』等を発表するも、歌い手が自ら作詞作曲した歌を唄う事には当時 の聴衆からも歌謡界からも理解を得られず、美輪曰く「人様の情けに生かされた」不遇の時代が続いた。しかし1963年には中村八大らの助力により日本初の 全作品自らの作品によるリサイタルを開く等、徐々に理解者が現れ始め、翌年には『ヨイトマケの唄』を発表。1966年、そのヨイトマケの唄が注目され人気 が再燃。こうしたことから「日本のシンガーソングライターの元祖」と言われている。



俳優 丸山明宏
1967年、寺山修司の演劇実験室・劇団天井桟敷旗揚げ公演で、寺山が美輪 のために書き下ろした『青森県のせむし男』続いて『毛皮のマリー』に主演。

さらに1968年、三島由紀夫に熱望 され舞台『黒蜥蜴』(原作・江戸川乱歩、戯曲化・三島由紀夫)に主演し、歌舞伎、新派の女形に続く現代女形の創始者として高い評価を得る。この『黒蜥蜴』 は深作欣二により同年、映画化され舞台同様にヒットした。また1990年代初頭にニューヨーク、パリなどでこの映画が上映されニューヨーク・タイムズ誌に も大々的に取り上げられる程のヒットとなり、ニューヨークでは美輪を英語でトカゲを意味するリザードにちなんで「リズ」と呼んでいた(「リズ」は元来エリ ザベス・テイラーの愛称)。

『黒蜥蜴』以降も『椿姫』『マタ・ハリ』、ジャン・コクトー原作『双頭の鷲』(王妃 の演技に対し、日本初の女王役者誕生と賞賛された)といった舞台や『黒薔薇の館』『雪之丞変化』等の映画・テレビドラマでの主演を続ける。また1970年 からはTBSラジオ「ラジオ身の上相談」を担当する様になり、その回答の的確さから芸能人が担当する人生相談としては異例となる25年の長期に渡り続い た。



美輪明宏に改名
1971年、丸山明宏から美輪明宏に改名。女優引退宣言をし、舞台を離れ歌 手活動に専念し始める。銀巴里やジァンジァンでのライヴや全国各地でのリサイタルを精力的に行い、『白呪』等のアルバムも多数発表した。また男性役では映 画(1977年 井上ひさし原作『日本人のへそ』)やドラマ(1976年『さくらの唄』)に出演している。

1978 年『枯葉の寝床』(原作 森茉莉)で舞台活動を再開するが、この頃より呼吸器系に持病を抱える様になる。俳優、歌手活動に支障をきたしはじめ、トークショー等のテレビ出演を控える ようになる。しかしその後も演劇では1979年にエディット・ピアフの生涯を描いた、自作自演となる『愛の讃歌』の初演。1983年の『毛皮のマリー』 『青森県のせむし男』の再演。さらに1984年には『双頭の鷲』を再演するが、体調は悪化する一方で1985年の『大典礼』(原作・演出 フェルナンド・アラバール)を最後に1993年の『黒蜥蜴』再演まで再び舞台から降りる事となった。

歌手として は1984年にパリで、1987年にはパリ、マドリッド、シュトゥットガルトでリサイタルを行いル・モンド、リベラシオンを始め多数の新聞・雑誌に紹介・ 絶賛された。また1986年からは現在も続くPARCO劇場でのロングリサイタルが始まり、それ以外にも全国各地でのリサイタル公演を行い、舞台に立てな くなったのちも切れ目なく活動を続けた。


1990年、東京芸術劇場の柿落とし公演『マ リー・ローランサン』を演出。この時既に『黒蜥蜴』再演の企画は持ち上がっていたが、美輪の体調面から断念している。またこの年、40年近く唄い続けて来 た銀巴里が閉店となり、美輪は最後の日の「さよならコンサート」で自ら作詞作曲した「いとしの銀巴里」を涙ながらに歌いあげた。この模様を各メディアは 挙って大きく報じ、また翌年の映画『黒蜥蜴』のニューヨークでのヒットなども重なり、この頃から美輪が言う「メケメケ、よいとまけ、黒蜥蜴に続く四回目の ブーム」の時期が訪れ、テレビやCM等への出演が増え、リサイタルのチケットも入手しづらい状況になって来る。



黒蜥蜴再演以降
1993年、85年の「大典礼」以来舞台に立てない程に悪化していた持病が 前年に奇跡的に完治した事を受け、24年ぶりに待望の『黒蜥蜴』を再演。前売りのチケットは発売日当日に完売するなど世間の注目を集めた。またこの再演時 には自ら主演、演出、美術、衣装、選曲を担当し、以降上演される舞台は1994年、1996年の「毛皮のマリー」以外、全て主演する美輪自身の演出とな り、多くの場合 美術・衣装・選曲も務め、脚本・振り付け(美輪明宏版 椿姫)原作(愛の讃歌)を兼ねた作品もある。

『黒 蜥蜴』の再演は93年以来1994年、1997年、2003年、2005年と続けられている。

1994年には 『毛皮のマリー』を海外から演出、照明、音楽など当代一流のスタッフを招き再演し、話題になる。この劇場側が用意した形式は1996年の再演時にも引き継 がれるが美輪曰く「演出があんまりひどい時は私が手直しした」そうで、結局2001年の再演では自ら初演出する事となる。キャストも美少女を含め全員男性 で演じる本来の形式に戻され、決定版と言える公演となった。

1996年三島由紀夫が30年来熱望していた美輪演 出・主演による『近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町』をついに上演。三島を歓喜させた当初のプラン通り、ダリと尾形光琳を取り入れた舞台デザイン(葵上) や99歳の老婆から19歳の美女への早替り(卒塔婆小町)など趣向を凝らした舞台となる。また、その年の秋には『愛の讃歌』を17年ぶりに再演した。

1997 年、13年ぶりの『双頭の鷲』再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞。 映画『もののけ姫』出演では東京スポーツ新聞社主催映画大賞(審査委員長 北野武)助演男優賞を受賞する。

1998年には再び『葵上・卒塔婆小町』を上演、秋にはデュマ・フィス原作「美 輪明宏版 椿姫」を30年ぶりに上演し、いずれも好評を博す。この年2本の芝居を上演したのを最後に翌年の『双頭の鷲』以降、舞台作品は年1本の上演ペー スとなる。一方、美輪が舞台活動を再開した93年以降、芝居のスケジュールとの調整が必要となり公演が無い年(96、97年)もあったPARCO劇場での ロングリサイタルは98年以降「音楽会」と名を改め、毎年行われる様になり、以来美輪のステージは春先の芝居、秋の音楽会で定着し、現在に至っている。

2000 年、銀巴里閉店後、唯一のライヴ活動の場となっていたジァンジァンが閉場となり、2000年3月29日が美輪のジァンジァンにおけるラストライヴとなった (閉場は2000年4月25日)。



人柄
かつて実家が料亭やカフェ、銭湯など手広く経営しており、美輪はそれらの場を遊び場と して育った。そして、そこでボーイや女給、客達により繰り広げられる様々な人生模様を見る内、人を見る目が自然に養われたという。

本 人曰く「天草四郎ならびに神功皇后の生まれ変わり」であるという。またフランス公演の際、インタビュー中「私の前世はサラ・ベルナール」と発言し現地の記 者から喝采を浴びたと言う。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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